「辛いことをする=えらい」っていう考え方やめない?って話
こんばんは、メンヘラ子です。
何度でも書くけど、日本の「つらいことをすると偉い」という風潮が本当に日本の未来を暗くしている。無駄な苦労は未来のために消し去るべき。偉い人が苦労しててもそれはただの相関関係で、因果関係ではない。無駄な苦労しても偉くなれない。 https://t.co/8pVDQWi5tf
— mhl_bluewind@California (@mhl_bluewind) 2016年2月26日
今日はそんな話を実体験も交えて書こうと思います。
そもそも「辛い」って定義自体、
人それぞれ違うわけだし、
「辛いことをする=えらい」には繋がらない
と、私は思っています。
特に仕事ね。
学生の頃、飲食店でアルバイトをしていました。
週末はやはり忙しく、
ドリンク担当だった私も
ドリンクを作りながらホールに出たり洗い物をやったりと、
バタバタしながら仕事をしていました。
仕事をするにあたって
「どうやったら効率よく仕事が出来るかな」
「どうしたらうまく回るかな」
と、慣れてきてからも試行錯誤の連続でした。
飲食やサービス業なんて、突然の出来事が多いですからね。
ホールにも出るわけだから、洗い物で制服を汚したくない。
びっしょびしょのままお客さんの前に出たくない。
だから私は、
いかにスピーディーに
いかに制服を濡らさず
いかに効率よく
いかに他との連携を怠らず
と、頭フル回転で仕事をしていました。
もちろん、それで認められることも多かったです。
「メンヘラ子は仕事が出来るね。もう終わったの!?」
そう褒められることが嬉しかったです。
でも一方で、こう褒められている子もいた。
「○○は制服びしょびしょにしてまで頑張った。
一生懸命やってる証拠だ。みんなも見習え!」
えっwwww
ってなった。
私の思い上がりもあるかもしれないけれど、
正直、その子よりも仕事が出来た自信はあった。
そしてその子の仕事の出来なさ、遅さ、
それに対しての言い訳具合はハンパじゃなかった。
その子が頑張っている姿を否定はしない。
ただ、
「制服をびっしょびしょにすること=一生懸命頑張っている」
って違くない?って思った。
苦労や頑張りを目に見える形で残している人
それをアピールしている人の方が評価される。
頭フル回転で黙って必死になっているこっちが馬鹿らしくなる。
大晦日も元旦も働いていた奴らだ。 pic.twitter.com/NxzB8or7ad
— 全日本もう帰りたい協会 (@mou_kaeru) 2018年1月2日
(*´`*) (リヴァイ兵長になら言われたい・・・)
・・・話がズレました
歩きタバコ「みんなやってるよ」
— 労働者 (@Black_Post_Bot) 2018年1月6日
世間「ダメです」
信号無視「みんなやってるよ」
世間「ダメです」
万引き「みんなやってるよ」
世間「ダメです」
覚醒剤「みんなやってるよ」
世間「ダメです」
サービス残業「みんなやってるよ」
世間「みんなやってるし、君もやらなくちゃ」
じゃあ
サビ残は辛いじゃん。
えらくないの!?
それは褒めないの!?
当たり前のことなの!?
ってなるわけで。
よくわかんねえ社会だな
って思います。
みんな頑張ってるんだから。
— メンヘラ子 @メンヘラブロガー (@hnt_anpi) 2017年12月22日
辛いのは気のせいだよ。
もっと頑張ってる人がいる。
よく言われた。
だからなんだ。
体と心が、全員同じレベル値だとでも思ってるのか。物の耐久性が違うように、人の体や心だって耐久度は違うんだ。 https://t.co/QgVDVL48C8
「みんな頑張ってる」
知ってる知ってる
「もっと頑張ってる人いる」
だからといって自分を殺してまで頑張る意味ってなに
そう言ってくる人って、
こっちがくたばったあとにフォローなんてしてくれない
言うだけ言って逃げていくんだ
責任なんて取ってはくれない
「頑張りが足りないからだ」
「(心や体が)弱いからだ」
と他責に必死になる。
責任持てないなら言うべきじゃない
「辛いことをする=えらい」は自己満に留めて欲しい。
そう、結局自己満なら良いんですよ。
それただの根性論だから。と、私は思う。
他人に押し付けることじゃない。
そういう社会、もうやめようよ。
追い詰められる人が増えるだけだよ。
と、思います。
メンヘラ子でした。