「いじめ!ダメ!絶対!」っていうけど、そういう大人がやってるよね?私のイジメ体験談と大人になって思った事。な話
こんばんは、メンヘラ子です。
(´`){今日も腹痛ぅううう
誰でも1度はされたこと、したことあるんじゃないでしょうか。
君の名は・・・いじめ!!!
私も受けたことあるし、それで学校行けなくなりました。
「いじめ!ダメ!絶対!」っていうけれど。
いじめって子どもの世界だけの話じゃないよね?
と、思いまして。
過去の私のいじめ経験を交えながら、現在の現状とも照らし合わせてみつつ、書いていきます。
お前の過去なんざどうでもいいわ!
って方はまとめに飛んで頂ければ。
- 平和だった幼少期~小学校4年生
- 男女の壁が生まれた小学校5年生(1回目の転機)
- 黒歴史な中学編その1
- 黒歴史その2(友人からハブられる)
- 黒歴史その3(不登校、保健室登校、そして何もしてくれない担任)
- 華の高校デビュー(個性が受け入れられる学校)
- まとめその1(うつになって、一般社会から少し離れて気づいたことと持論)
- まとめその2(無理はさせないしたくない)
- まとめその3(ラスト。他者との違いを認めてみよう)
- 関連・よく読まれる記事
平和だった幼少期~小学校4年生
一言で言うと、ガキ大将でした。笑
未だになぜかはよくわからないのですが、幼稚園の頃はみんなからモテモテで(特に女子から)、みんな「メンヘラちゃん~」ってくっついてくる。
わけ隔てなく、みんなと遊んでいたからかな。
小学校に上がると、各学年1クラスしかないような、当時はまだ小さな田舎学校だったので、男女問わず仲がよく、学校終わりもみんなで公園や校庭で遊ぶ毎日でした。
男子とも平気で喧嘩していたなあ。
楽しかったなあ。
とまあ、ここまでは平和だったんだ。
男女の壁が生まれた小学校5年生(1回目の転機)
はいキタ、私の人生の転機1回目です。
近くの小学校と合併し、クラスが2クラスになりました。
合併した小学校には「性格悪いやつがいっぱいいる」との噂を聞いていましたが、本当にその通りだった・・・と、子どもながらに気づきます。
女子がエグかったんだ。
初めて「ネチネチとした女子特有のアレ」を体験しました。
衝撃でした。
(´`){なんだこれは
そして年頃なこともあり、合併してから男女がはっきりと区別されるようになりました。
女子は女子同士、男子は男子同士で遊ぶのが当たり前。
手紙交換や交換日記を利用して、陰でグチグチ言う女子たち。
(´`){うーん・・・
男子と仲良くしようものなら、「あいつなんなの」と疑惑を持たれる。
(´`){話してるだけじゃん
「私が好きって言ってるの知ってるよね」といじめの対象になりうる。
(´`){まてまてまて
「あの子んち貧乏らしいよ」と噂が流される。
(´`){やめたげなよ
ってか、書いてて思ったけど・・・
これ大人も全然やってるやないかーーーい
(´`){何か恥ずかしくなってキタヨ
当時の合併がきっかけで、「環境の変化」というものに恐怖心を抱くようになりました。
多少柔軟にはなったものの、今でもまだ苦手です。
今までガキ大将だったのに、どんどん内向的になっていきます。
私の人生の絶頂は幼稚園時代だったなあと、思うようになりました。(あの頃は可愛かったしね)
黒歴史な中学編その1
私にとっての暗黒時代、中学校です。
なんなんだろう、中学生のいじめのオンパレード!!!!
(´`){思春期コワイ
近隣小学校3校が集まった中学でした。
(´`){コワイコワイコワイ
あとから聞いた話、4年生までいた我が母校が一番平和だったらしい。
その中学は、「部活動絶対!」な校風だったため、幼馴染だった友人とバドミントン部に入部しました。
本当は小学5年生から2年間していたバスケも興味があったのですが、「女バスはいじめがやばい、いじめのループ」との噂を聞き撤退。笑
けれど、やっぱりここでもありました、いじめ。
(´`){せっかく撤退したのにw
バドミントンって基本的に2人組でやりますよね。
1人じゃできない。そう、ペア争いがあるんです。
奇数は負ける世界。偶数絶対世界。
相手をしてくれる優しい先輩もいましたが、そういう人って大体強いんですよ。
なので試合の練習もあるから、あぶれてしまった後輩の相手をする時間ってのがなかなか取れない。
1年生の間でも偶数争奪戦が始まるわけですね。
どんどん蹴り落としていく笑
(´`){おっふ
私も標的になりかけましたが、中立国にいたためなんとか免れていました。
しかし、とある日に幼馴染がその被害に遭ってしまいました。
ハブられる幼馴染。理不尽なことで噂を立てられる幼馴染。
我慢できませんでした。
「ネチネチネチネチしやがって・・・。もうめんどくせえんだよ!!!!」と、幼馴染が辞めるのと一緒に部活を辞めました。
後悔は全くしていません。
強いて言うなら、ラケット代やら両親ごめんなさい・・・。
その後は美術部に入部し、好きなものを作り、創作の楽しさを覚え、平和~に過ごしました。
黒歴史その2(友人からハブられる)
中学2年までは平和に過ごすことができました。
小学校が一緒だった友達と仲良くなり、よく2人で一緒にいました。
人に対しての警戒心も薄れ、修学旅行も楽しかったです。
その子とは3年でも同じクラスになることができ、このまま平和に中学生活過ごせるかなあと思っていた矢先の出来事でした。
2人組だった私たちのところに、1人仲間が加わったんです。
(´`){奇数キターーーー
そして明らかに私をハブろうと必死になるその子。内向的な性格に火がつく私。
とある日、図書館で本を探していました。
すると、反対側の本棚から2人の声が聞こえました。
「メンヘラ子まじうざいよねwキモいしwなんでうちらにくっついてくるんだろうねーwww」
(´`){…!!!!!!!!!!!!
次の日は学校を休みました。笑
毎朝腹痛で動けなくなり、この頃から養護教諭の先生からは「自律神経失調症だね」と言われてました。
黒歴史その3(不登校、保健室登校、そして何もしてくれない担任)
不登校が始まりました。
学校に行きたくない。怖い。人間不信。なかなか眠れない。
そして起きると痛くなるお腹ともよおす吐き気。
しばらくは家にこもって、当時流行っていたチャットで気分転換をしていました。
おかげでタイピングが早くなりました。笑
思春期真っ盛りだったこともあり、親にも反抗的。家、荒れる。
私は反抗期真っ盛りで引きこもり、当時の父は短気でキレやすい。
その結果、あまりにもパソコンと友達になりすぎて、父親から一度胸ぐら掴まれたこともありました。笑
ただここで問題になってくるのが、出席日数問題。
高校受験も控えていたため、出席日数が足りないとどうしようもない。
なのでなるべく保健室への登校はしていました。
みんなと登校時間をズラし、保健室の奥にある机のあるスペースで勉強や読書をする毎日。
「さすがにこの授業は出ないとまずい」という授業以外は、基本保健室か図書館にいましたね。
学年集会や全校集会は出ないか、体調が良かったら離れた場所からみんなにバレないように参加。
体調悪くなったら、寝かせてもらうか、早退したりもしてました。
正直、担任は何もしてくれませんでした。
話に来てくれても、当たり障りのないような根性論で諭すタイプの人。
(´`){この大人キライ
こんな状況下でも卒業できたのは、まずは養護教諭の先生のおかげです。保健室の先生ですね。
結構ズバズバとストレートに言う方でしたが、実際は本当に優しい人で、今思うと恩人だなあと思います。
卒業式の際には「卒業できたね。よく頑張ったね」と、一緒に泣いてくれるほどでした。
メンヘラ子、メンヘラ子ママ、号泣。
(´`){せんせぇえええええええ
そしていつも味方でいようとしてくれたメンヘラ子の母。
沢山の葛藤があったと思う。
きっと自分のこと責めたと思う。
それでもずっと支えてくれていた。
母って本当に偉大。
ちなみにそんな姉を見て育ったため、
兄弟は真面目に、そんな反抗期もなく、育ってくれました。笑
華の高校デビュー(個性が受け入れられる学校)
無事になんとか卒業条件も揃い、高校にも入学できました。
母校は「個性」を大事にすることを校風としており、私のような不登校児や学校になじめなかった子などを特に、ウェルカムな学校でした。
いい意味で変わり者が多い。本当に面白かった。
でもそんな子達が普通に学校生活を送ることができる。
「変わり者」と呼ばれて生きてきた人たちが、それを受け入れてもらえ、その個性をあまり変えることなく過ごすことができる。
今思うと、それってすごいことだよなあ。
もちろん、イジメやネチネチ、スクールカーストが無かったわけではない。
ただ一般的に見たら、少なかったように思う。
スクールカーストの頂点にいるであろうグループのリーダー的存在の子が、下位であろう子と普通に話したりもする。
(あんまり上位とか下位とか使いたくないけど、わかりやすいので今回は使用します)
田舎だったこともあり、ヤンキー気質が強いんですよね。
「弱きを助け、強きを挫く」みたいな。
実際、スクールカーストが目立つクラスがあって、トップの座に降臨してネチネチしてる人の方が、実際周りから距離置かれてたなあ。(特に女子)
ただ反抗したら目つけられるから、みんなはとりあえずヘコヘコ良い顔するんだけど、それで調子乗っちゃうんでしょうね。
でもこれって大人の世界でも共通していえますよね。
私のクラスは女子が平和主義者で、わけ隔てなく接してくれる子がほとんどだったため、クラス内のイジメや悪口って、ほぼなかったなあ。
高校でも割かし中立国にいました。笑
居心地が良かったんですよね。
ずっと音楽聴いていても、ずっと読書していても、1人でいても、良い意味で誰も気にしない。別に笑われることもない。
あのクラス、理想だったなあ。
男子がヤンキー揃いだったので、担任は大変だっただろうけど笑
部活動にも入って、青春のほとんどはそれに持っていかれましたが、むしろその部活には出会えて良かったし、やらせてくれた両親にはとても感謝しています。
友人も出来て、彼氏も出来て、部活では成果を出せて、普通の高校じゃ学べないことを沢山学べて、学ぶことで自分と向き合うことが出来て・・・
自然が豊かだったこともあり、感性と視野と可能性が広がったように思います。
1人でいることへの恐怖心が無くなったから、大学へ行って一匹狼でもそんな苦じゃなかったな。
勿論友達はいたし、卒業してからも関係が絶えない数少ない心を許せる大事な友達も出来た。
学内を1人で歩いていても、声かけてくれる優しい子たちも沢山いた。
見た目が派手で目立ってたのもあったけど笑
まとめその1(うつになって、一般社会から少し離れて気づいたことと持論)
とまあ、生い立ちを軽く?書きました。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます、お疲れ様でした。
書いていて思ったけど、文中にも何回か出てきたけれど、
「これって大人世界でもやってることじゃん!!!」
ということに改めて気づいてしまいました。
(´`){えーもうやだーwww
結局、幼稚な人っていつまでも幼稚。
それに気づくか気づかないか。
私も完璧ではないけれど、少しずつ大人の階段上ってはいるなあと思う。
育ってきた環境が違うから、好き嫌いはイナメナイし、価値観の違いはイナメナイ。
だけど、性格曲げてまで、気持ちおさえてまで、付き合うことなんて本当にないんだ。
(参考元はセロリ/山崎まさよし)
「自分は変わった」と宣言してくる人ほど、実際は変わっていない。
良い意味で環境の変化には柔軟。
「自分探し」ってよく聞くけど、それって高校までに終わらせとけって思う。
大人になってからは自分を探すんじゃなくて、自分と向き合い、自分から逃げないことが大事なんじゃないかなあ。
と、うつになって自分と向き合い始めて思ったよ。
私自身、 中学時代の幼馴染のイジメだって、一緒に逃げることにしか勇気が出なかった。
見てみぬフリと同じことだったかもしれない。(辞めてからもターゲットが変わっただけで、イジメ自体は無くならなかったみたいだしね)
でも正直、逃げたことには後悔してないし、他の友達より自分となにより幼馴染が大事だった。
苦しんでいる姿をそれ以上見たくなかった。
今もそれは変わらない。
大事な人が苦しむ姿は見たくない。
それは誰もが思うことだと思う。
私にできることはある。
でもできないこともある。
そしてその「できること」の私的優先順位は、正直言うと大事な人や、本当に困っている人たちに向けられる。
私に対して危害を加えてきた人がもし困っていても、自ら手を差し伸べることはあまりしないかなあ。
何度か手を差し伸べてみたこともあるけど、「あ、この人気づかない人だ」ってなる人に対しては、「もういいや」ってなりますよ。
私も人間ですし。
「仏の顔は三度まで」ですが、メンヘラ子の顔は四度まで許してもらえます笑
それ以降はもう知りません。
でも都合よく動く人や損得で生きてる人って、そういうときにやっと色々気づくんだ。
いや、気づけば良い方か。
まとめその2(無理はさせないしたくない)
「子ども(ここでは18歳以下を示す)が学校に行きたくない」と言ったら、私は迷わず「無理なら学校には行かなくていい。」って言う。
だって行きたくない理由が何かしらあるんだから。
その何かに周りは気づいてあげなきゃいけない。
とりあえず行かなきゃいけないなら、とりあえず保健室や、学校によっては不登校児が通える教室もあるから、まずそこに駆け込め。
図書館でも良い。本は友達になってくれるし、色んな友達がいっぱいいるよ。
ちゃんと学校には行っているんだから、「行った」っていう事実になる。
それが自信に繋がればなおよい。
それだけでもすごいもん。
私はうつ再発して病院行くときに、電車内で吐きそうになって、駅のトイレに駆け込みました。
辛すぎて、きちんと治したくて、復職したくて、這いつくばって病院に行った。
大人でもこんなんなんだぜ笑
病院も、学校も、少しでも行けただけですごいこと。
辛いのに行こうと頑張ったこともすごいこと。
だと、私は思う。
そもそも大人世界でいじめが起こっているんだから、偉そうに無理やり「行け」なんて言えないよ。
子どもも大人も繊細なのは変わらない。
精神疾患になったからって、心が弱いわけじゃない。
本当に弱いのは、よってたかって叩いてくる人。
自分と向き合えない人。
自分の弱さやプライドの高さを認められない人。
権力やお金、力を行使して、それを隠そうと必死になる人。
パワハラやモラハラ、嫌がらせなどのハラスメントの類は、本当に心が弱い人がやる証だと私は思う。
弱いから虚勢を張るために、強く見せようとしてくる。
でも本当に強い人って、強さをおおっぴろげにしないんですよね。
ここぞっていう時に出してくる。それがカッコイイのにね。
「いじめ!ダメ!絶対!」っつーなら、まずは大人から改めようね。
と、思うメンヘラ子でした。
まとめその3(ラスト。他者との違いを認めてみよう)
私の高校がそうだったように、
「個性を認める」「個性を伸ばす」って社会が出来上がるなら、一般的に言う「生きづらい」と思っている人も生きやすくなるんじゃないかな。
他者との違いを受け入れる。その違いが良いか悪いかは置いといて、自分とは異なることを一回受け入れてみるって、それだけで視野が広がる気がする。
例えば、接点がなく「この子とは友達にならないだろうな」っていう印象を持っていた子に対して、喋ってみたら「なにこいつ面白いじゃん。」って友達になることもある。
「この世界知らなかったけど、この子のおかげで知れた」っていうこともあると思う。
生きやすい世界って、結局自分を大事に思うことなのかな。
自分の持つ個性を尊重できる世界なのかな。
って思った。
うつを再発して「もうなりたくない」と思うけど、なったから気づくことも沢山ある。
まあ現状辛いし、早く治したいし、治すために早く色々解決したいけどね!!!!笑
長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。
この記事書くまでに3日かかりました。笑
ブロガーさんやライターさんって、すごいなあと改めて思います。
では、メンヘラ子でした。